昭和51年09月05日 朝の御理解
御理解 第69節
「信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けてゆけば立ち行こうが。みやすう信心をするがよいぞ。」
どういうわけに信心は難しいというのだろうかと。とても私達じゃ出来んと、まぁいう信心のない人が良く申します。信心は出来ん。第一お参りする時間が勿体ない。もちろんお参りすれば、やっぱり何がしかのお金も要る、と言う風に頂いたらやはり信心は難しいものでしょうね。時間もいるしお金もかかるし、しかも信心が十年も続いたらわれながら、わが心をまつれるというほどしの信心。
私は思うのに、御道の信心は確かにそのうおかげがね、あらたかだと。おかげを受ける。言うならご利益が、いうならばはっきり頂けるから、私は難しいんじゃないかと思うですね。おかげが受けられるから難しいというのは、変な表現ですけれども。と言うてならこの神様は、何でもかんでも願うて、なら願い通りに成就すると言う事じゃないです。昨日も、日田の中野さん達が一家、それからお里のお母さん、ご姉妹までみんなでお礼に出て見えました。
ご自分も病気で入院しておられて、綾部さんが毎日、お初穂を託ってきては代参されました。第一里のお父さんがもう八十幾つで、もう大変な何とか癌で、もう大変苦しいその病気だそうです。それをもう子供たちとして見ておられんのです。だからまぁ亡くなるのはもう年だから仕方がないのですけれども、何とか苦しみが和らぐように、そのために私が代わられるものなら、代わっても良いと言う様な願いであった。
ところがそのお願いをなさった日から、非常に楽になられた。昨日お礼に出てこられたのは近い内に退院が出来る。もうどんなに考えても不思議でたまらん。けれどもここにあの分かる思う事はね、その娘さんである中野さんが、あのう私が代わってどんな難儀でもと言うたら、今あのう皆さんもご承知のように、光興産というまぁ日田の言うなら財閥です。大変な金持ちです。そしてパチンコ屋を最近開いておられます。
そのパチンコ屋の二階から、どうした弾みか落ちられましてね、骨折された。そしてお爺さんと一緒に、病院に入院せんならんような事になった。私はけれども本当に思いましたですね。あげな事お願いしちゃいけませんねやっぱ。例えば私の命に代えてでも、てんなんてんち言う様な事は、本当にいかんですよ。ひとりが助かってほんなら一人が死ぬなら、神様の方から御覧になりゃですね、同んなじです。神様からご覧になれば。願うものも願われておる者も、やはり氏子に変わりないのですから。
あの人が命を助けて下さい。そして私が死んだっちゃ良かてんなんてんち、ような願いはいかんですよ。と同時にです、私はそのうそういう言うなら、シャープなおかげです最近ですね、ここで言われます、どこにそういう秘密があるかと。私は昨日もちょうど昨日は神愛会でしたから、ちょうど先生方へお話をさせて頂いておるところへ、一息付いたところへお礼に出て見えました。それでここでお取次ぎさせて頂いたんですけれども。本当まぁ不思議なおかげだという訳ですけれども。
貴方が例えばお父さんの事を一生懸命願われたから、おかげを受けられたと言う事もあるけれども、これのまぁひとつのおかげの秘密というのはね。あなた方のご主人がね、言うなら家内のお父さんのために、一生懸命の信心をなさっておるからだと私は申しました。決して毎日参って来る様な人じゃありませんですけれども、そのそんなに沢山なお金を持っておられますから。もう言うならば、本当に沢山なお金を積むようにしてお願いされたんです。自分のお父さんじゃなくて、自分の家内のそりゃお願いをしても。
それだけ実感欲をいうならば、離して父の事を願うというのは、なかなか難しいですよ実際は。そりゃ赤の他人の事だの、皆さんの場合なんかは、沢山お届けなさっておられますけれどもね、けれどもそれがどうと言う事じゃないですけれども、そんならもう本当に幾ら金持ちでも、やっぱ金は惜しいです。その金を沢山の金を積むようにして、お父さんの事を願われたんです。だからそれは御本人は知ってなかったごたる感じですね。だから今度のあなた方のお父さんのおかげはね。
貴方が一生懸命にお願いしたと同時に、ご主人がそう言う様なおかげを頂かれたのは、そこにおかげの秘密があるように、私は思うと言うて話した事です。また後からのそのう神愛会でも、そのう本当に素晴らしいおかげを頂くというが、あん位な信心でどうしておかげ頂くじゃろかと思うようだけれどもです。よくよく探ってみると成程奇跡の一つも起こさにゃおかんようなものが、何かがあると言う事です。違うですどことはなしに。何かが神様の心にこう通うというか、そういうやはりものがあります。
昨日、昨日の朝もお話ししましたように、呉地区の青年教師の方達、学院で教授をなさっておられる先生も交えて、お見えになられて一緒に研修させてもらいましたが、私はこら何時もの事です、もう何時もの事ですもう、言うなら毎日毎日がそうなんですけれどもね。昨日その中野さんが、お礼に出てこられてから、何かこんな大きなボールの何か、こうお供えがしてあったです。それでなんかかってもなんだろうか、えらい重たいがと思いよったら、筑後川の日田で捕れた鮎だったらしいんです。
で家内が今日はあの遠方から、先生方が見えるのにお夕食には、何で差し上げたら良かやろかち。富永先生が沢山お肉をもって見えとられる。それからあの壱岐の末永先生が、それこそまぁだ壱岐で泳いどったち言うごたる、イカを沢山持って見えておった。そしてその中野さんが、それこそ沢山な鮎を持って見えたけ、沢山なその鮎ですからね、家中のもので頂けるような、あの訳ですけれども、本当に海、山、川のと言う様な、あのお御馳走が出来ておったので驚きましたが。
しかも何時もの事ですけれども恐れ入りますですね。昨日その中野さんがお礼に出てこられたと言う様な事なんかもそうです。本当にこちらがそれこそ米一粒買いませんと言った様な生き方をすりゃ、神様がおかげを下さる。お客さんがある時には、お客さんがあるようにちゃんと、お繰り合わせおかげを下さる。そう言う様なおかげがです。例えば頂かれるところに、金光教の信心は難しさを感じるのじゃないでしょうかね。
そういうおかげを、ほんなら何時も頂けれるほどしの、力を頂けば別ですけれども、ほんなら願うたりいや願うておかげを頂いたり頂かなかったり、やはり信心な難しいと言うたり、または自分でばしお供えしよるように、自分でばし参るように思うところに、なかなか時間がないの、お金が要るのという事になって難しいことになるんです。そこで私はね、やはりその日その日のおかげを受けていけば、立ち行こうがというおかげでなからにゃいけないという事です。
私の母の里は田主丸の奉の麦尾と言うところです。叔父が永年朝鮮に出て酒屋を致しておりましたから、麦尾に残ってるのは、爺と婆と二人でございました。そして少しばかりの百姓をしておりました。これはまぁ私の方の母の里の事ですけれども、大変熱心な仏教信者でした。代々田主丸の常行寺さんの総代を、代々がしております。もうそれは本当に、もう朝から晩まで念仏の声が絶えた事がなかったです。
例えば皆さん御神飯なんか熱心な方は、ご自分で別な釜で御神飯を炊かれる人もありましょうけれども、大概は自分方のご飯を炊いて、その中からこうお初をされるですけれども、私の奉のその麦尾の婆達は、もう絶対仏様のは別な釜で炊きました。もうこれはもうどんなに、取り上げとか値付けとかと言うて、忙しい時であっても、もうこれはもう絶対の事でした。もうどんなに例えば取り上げなんか手伝い行きますと、もういうならば夕方まで遅くまでも、ギリギリ疲れておりますけれども。
お風呂入った後は老夫婦二人で、もう長々とご仏前でお経を上げて、私共もやっぱだから傍でこうして拝みよるけん、お経でん覚えてしまう位でした。もう今から思うて本当に信心生活とは、あぁいうもんだなと思わせて頂いた。一遍な池返しがありましたら沢山魚が捕れた。けれどもその魚はみんなこせご川さん持って行ってから放流します。それで加勢に来た人達は、そら勿体ないと言う訳ですけれども、いいえあの魚屋から魚は、海の魚を買うて来てから、あのするけんでと言うてからその池で捕れた魚は全部放流する。
大根のすぐ裏が小川でしたが、大根の虫なんかがこうやって袋のごたっとで、こうやって掃わいて取るですもんね昔は。それをねあのその川に流す時にはもう、お経を上げてそして、また今度生まれ変って来る時には、もちっと増しなものに生まれ変わってこにゃと言いながら、しておるのを私は覚えておるです。いうならばその仏教の真宗仏教の、言うなら教えをもう生活の中に、頂き込んでしもうておるという感じでした。もちろん腹を立てたり、喧嘩をしたりするのを見た事もございませんでしたけれども。
もうそれからそれこそ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏が絶えた事がございませんでした。私が参りますと私がせがんで言うと、仏壇の引き出しから親鸞聖人様の一代のの絵解きが、今ここにそれが記念に残っておりますがね。それを昔の紙芝居のように、ずうっとその裏に説明が書いてありますから、爺がそれをもう一枚一枚丹念に、今日はもうここまでという風にやっとったふうでね。あの聞かせてくれておりました。
もう本当に何て言うですかね、宗教情操とか何とかと言うけれども、やはり家庭の中にそういう一つの情操的なものがなからなければ、ただ情操だけを教えるといって出来ることじゃないです。もう沁み込んでくるものですよね。私のまだ椛目で人が助かりだした時分でしたけれども、田主丸の港町と言うところがあるですね。その港町というところから、もう九十ぐらいなお爺さんと、七十ぐらいなおばあさんと二人で参って見えました。ある難儀な問題でお願いに見えたんですけれども。
「えらいよく椛目じゃ、この頃人が助かりよるち言う話が、どこじゃろかち」言う。「はぁあのう元の軌道の停留所の前に、大坪さんち言うちからあん店があった、あそこですよ」ち聞いてからね。「ほんならあんたあそこは、あの麦尾のツルしゃんが嫁いっとったとこじゃなかろ」ち。「私の母がツルヨち言いよります」「ははツルしゃんの嫁いっとったとこだ。あぁツルしゃんの息子に当たるとげな」という話を聞いて、「そんなら人が助かるはずばい」と言うて参ってきましたと言われました。
そして私は知らない私の爺は、朔太郎と言いよりましたが、その朔太郎の父親が朔兵衛と言いよった。その朔兵衛の事をそのお爺さんが知っておられたのです。そして本当にあの仏様のような人じゃったと言う事。その親の子が私の爺であるところの朔太郎。朔太郎がまた、私どんから見て本当に仏様ちは、こげな人やろかと言うごたる、やっぱ生活をしておりました。私は不思議でたまりませんでした事は、あのうもうまだ若い時から、あの爺と婆の石碑が建っておりました。
そして石碑に何時もそのあん色の花やら、お供え物やらしてまあだ死んでもおらんとに、その自分のいうならば亡くなった時に建ててもらう、その石碑にそのお供えして拝んでおった。私は今日の今日はその事を、ふっと思い出させて頂いてですね。十年と信心が続いたら我ながら、わが心が拝めれるようになると言う様な精神じゃなかったじゃろうかと思うのです。自分の心のなかに湧いてくる心が、有難い心その心を自分ながら、合掌しなければおられなかったのじゃなかろうかと思うのです。
ですからほんなら真宗仏教の事ですから、別にお金が儲かりますようにとか、繁盛いたしますが病気が治ります様にと、そういう願い事はさらさらないのです。もうその日その日が立ち入っておると言う事が、もう有り難い有り難い一日であったと言う事です。そこで私は思うんですけれどもね、今日のこの御理解を頂いて。金光教の信心で何故難しいかというと、あまりにもおかげがシャープだからだと言う事です。
なら皆さんが一人一人、それこそほんに不思議なというおかげを、皆さんが頂かれた体験があるでしょうが。というてそれが、何時も続く訳じゃないです。そして今度頂かんと、あん時のつは、腑が良かったつじゃろかぐらいになって、信心有り難いものが薄くなったり、お願いしたばってんお参りしたけれども、おかげ頂きらじゃったと言うて、信心を止めたり。
そういうところに、私は信心が難しいものになって来るのじゃないかと思うんです。またの頂き方ではです、例えばほんなら厳しく、信心の修行させて貰うて、信心の有り難いものが身についてくる。それはちょうど、私に自動車の運転をせろと言うても難しいけれども、出来ませんけれども、自動車の運転免許を取った人には、自動車の運転ぐらいはもう、自分の手のごと、足のごと使うと言うでしょう。
だから体得してしまえば、そんなに見やすいものなんだけれどね。私は今日はそういう意味ではなくてです、おかげというものを切り離した信心。いうならば教えが身に付いてきて、もう毎日毎日が、生神金光大神様が、何時も自分の心のなかに唱え続けられて、それこそどんなに忙しかってもです。なら今合楽ではいわゆる、大祓信行の声が、毎日毎晩絶える事のないような生き方を、身に付けることだと。そしてそこにはですその日その日が立ち行くと言う事なんですけれども。
立ち行くどころではない、今も先ほど聞いて頂きましたように、今日はお客さんがあると言やちゃんと神様が、いうならばそういう海川山のものを、様々なものを集めて下さるほどしのおかげが頂かれると言う事です。だからそういうおかげの頂けれる信心を、先ずは頂かなければなりませんけれどもですね。おかげと言う事が私の今日は、爺、婆の話をしましたが、なるほどほらもう家は汚い家でしたけれども、ご仏壇だけはもうそれこそ、光り輝くご仏壇でした。
もう本当にご仏壇の前に座っただけでも、やはり有り難うなり楽しゅうなるような、そういう意味でです、お神様をお祭りさせて頂くならばです。今度宮崎の黒木さんが、ご新築があって、そしておかげを頂いた。もうとにかく今度のご新築を思い立たれる。そのお金がそんなに、払えるはずはないのだけれども、お許しを頂いて始められたのです。それからね、その自動車の外交をなさっておられるが、毎月三十何台、昨日も電話が架かってまいりましたが、もう来月の分まで何十台という、しかも現金で。
しかもその今会社が金回りが悪くて、大変困っておるところへ、その黒木さんのその現金が入ってくるからもう、黒木様々というその支店長から言われるぐらいに、おかげを頂いておられる。ですからもうそれこそ家の支払いなんかもう、本当にもう有り難う出来よる訳です。それで今度そのご神殿でも、あちらの大工さんに見積もらせたげなら、まぁざぁっとしとった十万ぐらいじゃった。けども今度秋永先生が、あのこのごろ綾部さん所の、見に行ってですね、やっぱり四、五十万掛けて、お神様を奉斉されます。
御神具から、あのお宮から色々すると、やっぱ五十万掛かります。そん代わりもう檜の柾でずっとこう壁を張ってなさるそうです。とてもこういう神様がこういう風にして拝めれるようになるてんなんてん、もう夢なんかじゃなかった。ところが何十万づつ、毎月ころっと別の収入があるようになったんですよ。だからそういう例えばならおかげを受けられるからです。信心が難しいとです。そう言う事がずうっと続くとまた思われませんしね。けどもみんなおかげ頂きたい。
そういうおかげが、そのやっぱ頂きたい。頂きたいからお参りをしよる、熱心にもなる。けれどもやはり難しい。おかげがあるからかえって難しい。おかげをいうならば言うなら、おかげを頂かなければならんから、お参りをするのではなくて、信心が頂けれるから、分からせてもらえるから、有り難うならせて頂くから、まぁこの調子でいきゃ十年経ちゃ、なるほどわが心が拝めれるようになるだろうと、言う様な信心を身につけていくと言う事が、出来たら信心は楽しゅうしてみやすうなってくるのです。
だから信心が見やすいものになるために、先ずおかげというものを別にしなければならない。真宗の今篤信のほんなら方達がです、朝から南無阿弥陀仏の声が絶える事がないような、信心を熱心にしておられるが、こげんして唱えるとです、商売が繁盛するから、病気が治るからと言う様な事はさらさらないです。私は爺婆の信心にそれを見ました。いうならば教えを頂いて、教えを守らせて貰うて、言うなら有り難いいうなら、今日の御理解で言うと、その日その日のおかげを受けていくと言う事。
その日その日をお生かしのおかげを頂いておると言う事だけが、おかげではあるとして、信心を続けておったと思います。だからもう難しいもなからなければ、みやすうもない。只々有り難いものになっておったと言う事であります。ならそういう信心が、もしほんなら金光教の信心によって、教えに基づいて信心させて貰うならばです。今度は人間のいわば、幸せになって行かなければならない条件が足ろうてくるほどしに、おかげは付いてくるのです。それは生きた宗教だからと思います。
ならば生きた宗教なるがゆえにです、かえってほんなら難しいという事にもなる。信心をひとつみやすうと言うのではなくて、信心を有り難うさせて頂けれる信心を、先ずは体得すること。いうならば信心を頂きに合楽通いをすると言う事。教えを守ると言う事が楽しゅうなると言う事。朝晩の御祈念が、もうこよない有り難いものになると言う事。そこからですなんとも言えん、家の中に信心のいうならば、有り難い雰囲気と言うかね。それがほんなら、子供に孫に沁み通っていかないはずがない。
金光様の信心してみい、おかげ頂く。さあ、試験ちいや、金光様にお願いに行けと言うて、そういう時だけのようにその言うから、子供たちがです、お願い行ったばってん、試験が出来じゃったじゃんのち、言うてから却って反発するわけです。もうまるきり、おかげだけの神様のような頂き方をするから、信心が難しいと言う事になると言う事を、今日は聞いて頂きましたですね。
どうぞ。